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福島第一原発から50キロも離れた飯舘村は、地震・津波の被害はなく、豊かな田園風景が広がる地域です。佐藤八郎村議が迎えてくださり、村内と仮設住宅を案内していただきました。

当初、放射能汚染されたなどとは、まったく思っていなかった村民は、1610名もの津波被災者を受け入れて、もてなしていました。ところが、その後、飯舘村が高濃度汚染地域とわかり、役所が44マイクロシーベルトで自衛隊が除染するなど、村民に不安が襲いました。ところが、長崎から来た山下教授が「避難の必要はない」と各地で講演を行い、住民は避難せずにいたところ、1か月もたって、全村避難になったということで、不正確な情報に振り回された経緯をお聞きしました。そのため、避難先が見つからず、遠く会津にまでもいかなければならないなど、ちりじりになって避難生活を送り、その後、近くの仮設住宅にさらに引っ越してきたということです。

村民の個人所得は、県内最低であるが、一町程度の田畑をもち、牛を飼うなど、生活は安定しており、3世代、4世代が暮らしていた。牛を避難させられず、牛に餌をやるため、毎日汚染地域に通った人もいる。仮設住宅は30か所に建てられ、全部回ると230キロにも及ぶ。住民がどこにいるのか、個人情報保護の関係でわからない。1700世帯だった村が、家族ばらばらに暮らすので3400世帯になっている。
飯館村の様子
飯館村の様子

佐藤議員の話は、ひとつひとつがつらいものでした。「淡々と話さなければ、話せなくなる」といわれた言葉に、その悲しみと苦しみの深さがにじみ出ていました。佐藤議員の自宅にいき、側溝にガイガーカウンターを入れたところ、30マイクロシーベルトを超え、針は振り切ってしまいました。3回の除染を行っている役所の空間線量は、0.5マイクロシーベルトでしたが、ホットスポットはいたるところにあると感じました。銀杏や梅の木が植えられていました。梅の実についた苔をとって測定したところ、37万ベクレルもあったということです。

飯館村の様子
飯館村の様子

仮設住宅に案内していただきました。北九州から送った野菜を袋詰めして、住宅をまわり、お話を伺いました。「野菜を買って生活するなんて思っていなかったの。助かります。ありがとう。」と頭を下げられる高齢者。「家に帰りたいの。ここ(仮設)は狭いのよ。何も置けない。私は帰りたいけど、子どもたちは帰らないっていうし、近所の人も帰らないっていうし、一人では帰っても生活できないし、やっぱし、この牢屋みたいなところで死ぬしかないのかなって。」といって涙ぐまれました。かける言葉が見つかりませんでした。すでに、畑を借りて野菜づくりを始めている人もいますが、毎日使う野菜、特に汚染されていない地域の野菜は嬉しいといっていただきました。

飯館村の様子

学校も仮設です。3校合同のプレハブ校舎に、14台のスクールバスで子どもたちは通ってくるそうです。プレハブの体育館もあって1億7千万円かかったということです。

飯館村の様子
飯館村の様子

地域も自然もこわされた、放射能被害の現実をまざまざとみせつけられました。家があるのに、帰れない。その口惜しさはいかばかりでしょう。原子力規制庁は、今も、5キロ圏、30キロ圏と距離で区切って避難計画をつくろうとしていますが、飯舘の現実は、距離で区切れるものではないことをはっきり示しています。風向きや地形によって、50キロ、100キロでも大きな被害になるということ、故郷がなくなるということです。

玄海原発から100キロの北九州市も、偏西風の風下ですから、事故の場合の危険について、認識する必要があります。何よりも、再稼働をさせてはならないと、今回の視察「福島の現実」を見て、決意を新たにしました。

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