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浪江町の様子

帰還困難区域に入るには許可証が必要です。2回も身分証明書を提示して、ゲートをくぐり、浪江町に入りました。浪江町役場は、この4月から再開され、職員のみなさんは、避難先から通ってこられています。若い職員の方から、説明を聞きました。

全町民が避難対象者で、14640人(69.4%)が県内、6442人(30.6%)が県外に避難しています。3月11日21時33分政府は福島第一原発から半径3キロ圏内の住民に避難指示、3キロから10キロ圏内の住民に屋内退避を指示していますが、浪江町はこの指示について未確認であり、報道により事実確認したということです。12日5時44分に避難指示が半径3キロから10キロに拡大されたことも報道によって確認。15時36分福島第一原発1号機爆発、18時25分内閣総理大臣が避難指示を半径20キロ圏内に拡大したが、この時も町は指示未確認で報道により確認してたということで、政府に対する強い不信が説明資料にも表れています。町民は、原発から29キロ地点の津島支所に避難しましたが、この時の風向きが津島方面であったため、町民の多くが無用の被爆をさせられたことを本当に悔しそうに話されました。

説明後、海岸近くの浪江の町へ。放射線量を測定するガイガーカウンターも持って、移動となりました。車の中にいても、場所によっては、放射線量が、1.0マイクロシーベルト以上に急上昇します。

浪江町の様子
浪江町の様子

ひっくり返った船、ひしゃげた車、丸まったガードレール、田畑の中に点在する「時間が止まった」光景に息が詰まる思いでした。

家々はほとんど流され、請戸小学校がかろうじて姿をとどめていました。請戸小の子どもたちは、教師の判断で、地震後すぐに内陸部に向けて、山を越えてにげたそうで、全員無事だったということです。人気のない浪江の町できいたその事実に、胸があつくなりました。

浪江町の様子

3月12日の新聞が積み上げられたままの福島民報新聞販売店、街灯が落ちたままの浪江駅前、流された橋、折れ曲がった電柱、津波が及ばなかった家は、今はネズミの巣になっているそうです。

請戸小学校
請戸小学校
請戸小学校
請戸小学校
請戸小学校

請戸小学校からは、福島第一原発を見ることができます。1階部分は、津波に破壊され、体育館は卒業式の準備がされた状態で、床が落ちめくれていました。2階部分は教室の原型をとどめていました。時計の針は3時40分、津波が襲った時刻で止まっています。後ろの黒板には、後に先生が書かれたのでしょう、「くじけるな。つらいですね。前を向いて生きていくのですよ」とあり、涙を誘いました。前の黒板にも、災害救助の自衛隊員がメッセージを残していました。

請戸小学校
請戸小学校

海のすぐそばの学校、原発の近くの学校の子どもたちが、全員助かったのは奇跡ではないでしょうか。案内をしてくださった町職員は、海のそばに家があったということですが、跡形もなくなっていました。しかし、2人の子どもさんはを請戸小に通わせていて、2人とも無事だったそうです。

請戸小学校

子どもたちの声が響いていたであろう、その場所が、一瞬にして廃墟と化してしまい、その後の立ち入りもできなくなってしまったのです。

消防団の人たちが、うめき声が聞こえるといいながら、救助に入れなかった、あきらめざるをえなかった町。原発事故のすさまじさに背筋が凍る思いでした。

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